自民党と連立を組むとどうなる?‐自民党と連立を組んだ政党はどうなった?‐

自民党と連立を組んで与党になった政党が、その後どうなったのか?その末路を調べてみました。

自民党と連立政権

 日本は、55年体制の下、長年、自民党の単独政権が続きました。しかし、1993年に非自民党連立政権の細川内閣が誕生し、自民党は野党になります。その後、自民党は政権に復帰しますが、以後、単独政権ではなく、他党との連立政権が続いています。

新自由クラブ

 1983年の衆議院選挙で自民党が絶対多数を失いました。自民党は、予算委員会で過半数を確保するために、新自由クラブ(8議席)と連携します。12月に「自民党・新自由国民連合」を結成し、閣僚にも新自由クラブの議員を入れて連立内閣が誕生しました。

連立を組んだ期間

 1983年12月〜1986年7月(第二次中曽根内閣)

その末路

 連立維持の見返りに税制や規制緩和を主張しました。が、1986年衆院選で議席が減って存在感が低下し、間もなく解党します。大半のメンバーは自民党に復党しました。

社会党

 1993年の総選挙で自民党が下野し、非自民連立政権が短命に終わった後、自民党は政権復帰のため社会党(後の社民党)・新党さきがけと連立を組みます。

 社会党は長年の防衛反対路線を修正して自衛隊容認に転じ、村山富市党首が首相になります。

連立を組んだ時期

 1994年6月30日〜1996年11月7日(村山内閣)

その末路

 1996年総選挙で大敗し、社民党に改称して連立を離脱します。連立解消後は少数野党として存続し、2026年時点では国会議員が数名にとどまるなど衰退が著しいです。

新党さきがけ

 新党さきがけは、政権で誕生した改革派の中道政党でです。自民党と社会党による連立のバランス役として参加します。

連立を組んだ時期

 1994年6月30日〜1996年11月7日(村山内閣)

その末路

 1996年総選挙で議席が激減し、自民党との連立を離脱します。1998年には環境政党へ路線変更するも選挙で全議席を失い、2002年1月に党名を「みどりの会議」に改称して事実上解党します。

自由党

 1998年参院選後、参院で過半数を欠いた自民党は政権安定のため自由党と政策協議を行います。自由党は、政府委員制度廃止や副大臣制度創設などを条件に連立に参加を決定しました。

 1999年1月14日に自自連立政権が発足し、同年10月には公明党も参加して「自自公連立」となります。

連立を組んだ時期

 1999年1月14日〜2000年4月1日(小渕・森内閣)

その末路

 2000年4月、小沢一郎代表が「自民党との対等合併」を要求するも拒否されます。自由党は、連立を離脱します。残留を希望する議員が保守党を結成し、小沢派自由党は2003年に民主党へ合流しました。

保守党

 自自連立解消後も連立維持を望んだ自由党議員が結成した政党です。与党内で、自民・公明の調整役として連立に残りました。

連立を組んだ時期

 2000年4月〜2002年12月(森・小泉内閣)

その末路

 2002年、民主党からの離党者と合流して保守新党を結成しました。しかし、選挙で振るわず、2003年11月に自民党へ吸収されました。

保守新党

 保守党と民主党離党組の合流により発足した政党です。小泉政権を支えたが、小規模政党で影響力は限定的でした。

連中を組んだ時期

 2002年12月〜2003年11月(小泉内閣)

その末路

 2003年総選挙後に自民党へ合流し解党しました。以後、自民党と公明党の2党連立に集約されます。

公明党

 1998年の新進党解党後、公明党(当時は新党平和などに分裂)が自由党とともに自民党に接近します。1999年10月の小渕内閣改造で初めて入閣します。翌年、自由党離脱後の自公保連立を形成しました。

 以後、2009〜2012年の民主党政権期を除いて自民党と共に政権を担い、選挙協力や生活者目線の政策で「ブレーキ役」として機能しました。

連立を組んだ時期

 1999年10月〜2025年10月(2009〜2012年は野党)

その末路

 2025年10月、公明党は政治資金規制や「政治とカネ」問題への対応を巡る協議で十分な約束を得られなかったとして自民党との長年の連立解消を決定しました。

 自民党との連立解消後、公明党は立憲民主党と新党・中道改革連合を結成し、総選挙に臨みます。

日本維新の会

 2025年10月、公明党という長年の連立政権のパートナーを失った自民党は、新しい改革勢力との連携が必要と判断し、日本維新の会と連立協定を締結します。両党はガソリン税廃止や物価高対策、社会保障改革、憲法改正、防衛力強化など「12の政策項目」を盛り込んだ協定に署名しました。

 しかし、日本維新の会は、閣僚を出さず閣外協力にとどまり、両党で選挙協力も行わないなど、限定的な連立にとどまっています。

自民党と連立を組んだ政党の末路

 多くの小政党は、連立参加によって一定の政策を実現しました。しかし、その後は、存在感が薄れ、自民党へ吸収されるか議席を失って解党しました。自由党→保守党→保守新党の流れや新党さきがけの消滅が典型例です。

 唯一の例外は、公明党です。生活者重視の政策や選挙協力を通じて長期にわたり自民党と共存してきました。しかし、2025年10月には政治資金規制を巡る対立から連立解消に至りました。立憲民主党と新党・中道改革連合を結成しました。

 公明党と、現在の連立パートナーである日本維新の会の末路に注目です。

♪Mr.Children「潜水」(アルバム:I ♥ U収録)

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